昔は粗大ごみやリサイクルの取り組みなど、どの様にして行われていたのかを少し前の江戸時代にさかのぼって調べてみました。
当時の江戸時代は、ロンドンやパリよりも人口が多く世界で一番人口の多い都市でした。そんな人口の多い江戸の人たちの不用品の処理やリサイクルはどのようにしていたのでしょうか?
調べてみたら意外と無駄のないリサイクル都市でした!
江戸の町では、町中から生ごみや金属・紙くず・古布などが集められクズ寄せ場で種類別に分別されて、専門の業者が買取し新たに再生して再利用されておりました。このおかげで江戸の町はとても綺麗だったと言われています。
たとえば紙くずで作られた再生紙は浅草紙といわれ庶民にとても人気の紙になっておりました。この浅草紙は冷やかしという言葉にもなったといわれ。紙を作る過程で水に浸けておくことを「冷やかし」といい、その間やることがなく、時間つぶしのために近くにあった江戸の町に出掛け、ただ見て歩いていたことから買う気もないのにただ見てまわったり、値段を聞くことを「冷やかす」というようになり、やがて「からかう」という意味にも使われるようになったようです。
また修理や再生も盛んにおこなわれていたようで
◆古い鍋や釜などの穴を修理する「いかけ屋」さん
◆木の桶や樽のを修理する「箍屋」さん
◆包丁などを研ぐ「研ぎ屋」さん
◆割れたり欠けたりした陶磁器を修理する瀬戸物の「焼き接ぎ屋」さん
など、それぞれの職人さんの手によって新しく命をふきこまれて、また人の役にたっていたのです。さらには傘を直す職人さん、ろうそくの残りカスを集めて再生するリサイクル屋さん。
当時、着物を新調できるのはお金持ち!!だけで、一般の庶民はつぎはぎや、仕立て直しをしながら大切に使い、古くなれば子供用に作り直したり、おしめにしたり、雑巾にしたりして最後まで使い切っていました、
さらに江戸に町にし尿を農家の人が買いに来て畑の肥料にしたりと、このように江戸の町は再生意識や技術が世界的にもすぐれていて環境にやさしい都市であったことが分かります。
上記、内容のように「先人の知恵に学んで」
私どもは、まだ使用できるものは再販し、古くて使用できないものは海外輸出や分別を徹底しご依頼者様や環境に還元できるように努めていきたいと思います。
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